標津・網走・紋別、縄文人のナゾを訪ねて遺跡めぐり。

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標津・網走・紋別、縄文人のナゾを訪ねて遺跡めぐり。

知床半島南側、付け根に位置する標津町。
後方に標津湿原を抱えており、
周辺はサケマスの遡上が非常に多い川に囲まれています。
国後半島は「ちょっと行って来る」、
そう言って泳いで渡れそうな近さ・・・

 

つまり狩猟民族にとっては桃源郷のような場所です。

 

この標津湿原の中を流れるポー川、
その流域にあるのが「カリカリウス遺跡」です。
縄文時代から擦文時代(さつもんじだい)にかけて4000もの住居跡があり、
この土地がいかに長きの間、豊穣な地であったかが推測されます。

 

標津・網走・紋別、縄文人のナゾを訪ねて遺跡めぐり。

 

ここには開拓当時の学校や番屋もあって、
古い建築物愛好者としても楽しめる場所です。

 

知床半島の付け根を突っ切って網走市に向かいます。
ここでの貴重な遺跡はモヨロ貝塚。
貝塚は全国に見られる遺跡ですが、
ここの特徴はナゾの民族「オホーツク人」の遺跡だということ。

 

「オホーツク人」は現在でもサハリンや千島列島に残る、
ウィルタやギリヤーク人の事とされていますが真相はナゾのまま。
大昔から海の狩猟に長け、北海道のオホーツク海を中心に栄えていましたが、
ある時期に忽然と姿を消してしまうのです。

 

北海道の先住民族とされているアイヌ。
当然このオホーツク人との関連が予想されますね。
事実、動物崇拝(イオマンンテの儀など)はオホーツク人がもたらせたものであり、
アイヌ自体がオホーツク人らしき民族の遺伝子を、
持っているらしい事が分かってきました。

 

遺伝子解析が進めばもっと詳しい事が判明していきそうですが、
我々旅人は古代の遺跡に思いを馳せ、当時を想像するのみです。

 

網走には「北方民族資料館」という立派なミュージアムがあり、
そこで色々な少数民族の文化にふれてみるのも一興です。

 

網走からオホーツク海を北上していくと、
北海道一の海跡湖「サロマ湖」に辿り着きます。

 

数々の原生花園や湖畔に落ちる夕日は海跡湖ならではの美しさ。
そしてここにも古代遺跡の森「ところ遺跡の森」があります。
竪穴式住居跡としては日本最大数、
森内にある資料館は詳しい解説もあり、
時代の流れを知るには最適です。

 

更に紋別まで足を運ぶと「オムサロ遺跡公園」
当時の面影を知るには最も適しているかも知れません。
かの司馬遼太郎(しばりょうたろう)氏も訪れたというオムサロ遺跡、
時を越え、縄文時代にタイムスリップしたような気分を味わえる好スポットです。

 

 

 

 

ここまで足を伸ばしたらぜひ行って欲しいスポットがあります。

 

時代はいきなり大正時代へ。
当時東洋一といわれた「鴻之舞金山(こうのまいきんざん)」

 

標津・網走・紋別、縄文人のナゾを訪ねて遺跡めぐり。

 

当時は一万人をこえる人が住んでいたというゴールドラッシュに沸いた地域、
閉山と共に町は消え、残るのは軌道跡や大きな煙突のみ。
他はまるで幻のように、北海道の自然に包まれています。

 

僅かに残る断片に耳を澄ませば、
当時の喧噪(けんそう)がわずかに聞こえてくるような気がします。